U R not alone《流三》

 掌返し、というのは往々にしてよくあることだ。

 例えば、先日幕を閉じた某ワールドカップ。
 いわゆる「死の組」に入ってしまった日本であるが、事前の下馬評では「初戦は、優勝を4回経験している相手国の方が圧倒的に優勢」という意見が大半であった。
 それがどうだ。
 相手GKのニア上をぶち抜く強烈な一撃。“大方の予想”を見事に覆す、それはそれはドラマチックな逆転勝利に列島は湧いた。マスコミはこぞって日本のジャイアントキリングを報じ、それまでの監督の采配や特定の選手のメンバー入りを叩いていたーー奇しくも彼が決勝点を決めたのであるがーー風潮など、どこ吹く風。ネット上でも賞賛・賛美の大嵐で、それはそれは見事な”掌返し”であった。

 そう。ここまで大きな話でなくても、”掌返し”などよくある話なのだ、と三井は身に沁みて思う。高校時代にバスケ部を離れた時と、バスケ部に戻ってきた時と。そういえば、掌返しされたサッカー選手も、元々は怪我が原因で叩かれていたんだっけ。だからこそ結局のところ、正義や正解などというものはひどく曖昧で、勝てば官軍、負ければ賊軍でしかないのだ。
 事実、大会中にジャイアントキリングを2回も成し遂げた日本チームが帰国した際、出発時とは打って変わって大勢のファンが空港まで押し寄せたというし、大会前にはあれだけ叩かれていた監督の続投も決まったと報じられたばかりだ。

 それにしても。

 ーー話が長ぇんだよ、おっさん!

 舌打ちしつつ、三井は滑り込んできた電車に飛び乗った。乗り込める車両に駆け込んだら、よりによって忘年会終わりのサラリーマンと思われる酔っ払い軍団と出くわす不運にジーザス。
 念願だった高校教師として働きはじめてから迎える、何度目かの冬。採用試験の面接官がバスケ経験者だったのがラッキーだった。学生時代の部活エピソードを駆使してどうにかこうにか滑り込み、今に至る。当初の希望通り、バスケ部の顧問につくことができたし、生徒達との関係も今のところ良好だ。相当恵まれている方に違いない。
 だが一つだけ、先輩教師の話が長くてくどいのがいただけない。教員という生き物は総じて語りたがりが多いものである。それにしても、「俺の時代はな」って、その話何回聞けば終わります? と言ってやりたいし、加えて「お前は人の話を聞いている態度がなっていない」なんて、そんなこと言われましても。不服なのが全面的に顔に出ているのは否定しないが、そんなんで帰りがけーーましてや最終日に30分もくどくど説教するか?
 おかげで定時退勤が遅れ、一番乗り継ぎのいい電車を逃がすところだった。
 相変わらずの混雑具合に辟易しながら、うっせーな酔っ払い、と独り言ちスマホでSNSを眺めていると、よく見知った男の試合動画が流れてきたので思わずスクロールする指を止めた。

 バスケ選手であれば誰もが夢見る世界最高峰のリーグで、各国から選ばれし屈強な男たちの中を掻い潜った黒髪の男が、鮮やかにダブルクラッチを決めたところだった。コートに真っ赤なユニフォームが躍る。

“Ohhhhhhhhh! Amazing! Rukawa! He’s been unconscious!”

 「ルカワがシュートを決めまっくてるぜ!」という実況の興奮ぶりからもわかるように、NBAのシーズン開幕から破竹の勢いで活躍し続ける流川は、確かなその実力でHCやチームメイトの信頼を獲得し、今もなおプレイタイムを伸ばしている。

 昔から、流川はずっとぶれない。自分で決めた道をまっすぐ進んでいる。

 しかし、もちろんあの流川とて順風満帆にここまで来たわけではなかった。大なり小なりのケガに悩まされたこともあれば、日本にいる三井でさえ「不調だな」と思わざるを得ないシーズンもあったし、実際に契約を切られたことだってあった。そして、そういう時に聞こえてくるのは自称ファンの皆様による心無い言葉の数々である。「アイツはもうダメだな」「高校時代がピークだった」「さっさと見切りをつけて日本に帰ってくるべき」エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ……。
 ネットニュースやSNSに溢れかえるそれらのコメントを、三井が苦い思いで眺めたことは一度や二度では済まないし、怒りに任せてスマホを投げつけたことだってあった。

 ーーうっせぇな、てめーらに流川の何がわかるっていうんだ。

 そんなコメントを書き込む奴らの中に、流川より努力している奴が一人でもいるだろうか。
 そしてそういう輩に限って、優勝凱旋パレードでは揚々と最前線で手を振っていたりするものだ。まさに鮮やかな掌返し。それはそれで構いはしないけれど、最後まで推しチームの勝利を諦めずに応援し続けた人間の方が豊かで濃いシーズンを過ごせるのではないか……と思ってしまう自分は甘いのだろうか。

 ただ、三井がそんな風に電話で文句を言うと、流川は必ず言う。「そんなのはプレイで見返してやりゃいいんだ」と。事実、流川はそんな外野の声には目もくれず、粛々と結果を出すことで周りを黙らせて来た。誰に何を言われようが一切引かず、ここまで登ってきた結果が「今」だ。
 結局のところ、流川はいつだって三井にとってのフラッグシップなのである。
 何かしんどいことがあった時に、誰かのせいにしたり、適当な言い訳で逃げてしまった方が楽なことは、自身がよく知っている。一方で、そんな自分をいつか許せなくなることもよく知っている。だからこそ、こんな自分のことを高校時代からずっと「好きだ」と言ってくれる恋人のためにも、彼の名に恥じない自分でいたいのだ。それに、流川のことを想うと、自然に背筋がしゃんと伸びる自分のことは、嫌いじゃない。
 そう考えると、先輩のお小言ぐらい何だ。来年からは上手にやり過ごそうと決めると、少しだけ心が軽くなった。

 よし。
 そんなことを考えていたら、いつの間にか電車は目的地に着いていた。なんとか、目的の便に間に合いそうだ。目指すは、羽田空港国際ターミナル。
 片手でスマホを操作し『今から行く』というメッセージを送ると、三井は満足そうに頷いた。ゲーム終了後、メッセージに気づいた流川はどんな反応をするのだろう。どちらにせよ、流川がそれに気づく頃、自分はもう空の上だ。
 年末の空港は、家族づれや観光客でごった返している。色とりどりのスーツケースを眺めながら、三井はふと流川に直接「誕生日おめでとう」と伝えられるのは何年ぶりか、と思い返した。
 ゆっくりと目を閉じると、瞼の裏に高校時代の流川の後ろ姿が浮かんだ。試合中、くじけそうになるとそれを見ては何度も救われた背番号11。

 背筋がしゃんと、伸びるような気がした。

<fin.>