ちょっと怪我しちまって、とあの人は言った。
右の首筋に貼られた一枚の絆創膏。練習中もチラチラと視界に入ってはその存在を主張してきた不自然なそれは、特段変わったものではなく、至って普通の絆創膏なんだけれど。何をしたらそんな場所に怪我をするんですか、と思わずにはいられなかった。
「晴子、どうした? 俺の顔に何かついてるか?」
「あ、いえ、なんでもないです! すみません!」
いけない、見すぎてしまった。気になる、聞きたい、聞けない。
今日もきっと三井さんは、流川くんと残って練習をするのだろう。二人に向かって「お先に失礼します」と挨拶をしてから、体育館を後にした。
ちょっと怪我しちまって、ともう一度あの人は言った。
右の首筋にもう一枚増えた絆創膏。いやいや、それはさすがに無理がある。本当に怪我なんですか、と聞かずにはいられなかった。彼は「本当だよ」とぶっきらぼうに言うと、私から目を逸らした。
その日の部活終わり、片付けを終えて更衣室に向かう途中で体育館にジャージを忘れてきたことに気がついた。彩子さんに「先に帰ってください」と伝え、慌てて引き返すとまだ明かりのついている館内に二つの影を見つけた。今日もあの二人はまだ残って練習をしているはず。
すみません、私忘れ物をーーそう言いかけた口を、思わず両手で塞いだ。
きっとそれは、見てはいけなかったもの。
流川くんが両手で三井さんの頬を包み込み、二人の唇が触れ合った。何度かくっついたり離れたりしながら、それはどんどん深く濃厚な交わりに変わっていく。
しかし不思議と不快感はなかった。ただただ、なんて綺麗なんだろう、と思った。
扉の向こうはまるで別世界のようで。オレンジ色の明かりに照らされて、広くて静かな体育館にふたりぼっち。
ジャージは明日にしよう。思わず見入ってしまっていた私はふと我に返り、扉に背を向けるも、ちらりともう一度中を覗いた。
ーー刹那。
力が抜けてへたり込みそうな三井さんを支えながら、その首筋に流川くんが噛みついていた。それは噛む、というよりも吸い付く、というような。
その瞬間、わかってしまった。あの時の、三井さんの気まずそうな表情と絆創膏の理由。
それにしても、どうして首筋ばかり?
無性に気になって、無人の更衣室でスマホに『首筋 キスマーク』の文字を呼び出す。
そして、呼吸をするのも忘れて口を半開きにしたまま呆然とその場に立ち尽くした。指先からじわじわと熱くなっていくのが自分でもわかった。
ーー流川くん、流川くん、流川くん。
同時に、その時ようやく自分が失恋したことに気がついた。けれど、悲しいとか悔しいとかいう気持ちは全く湧かなかった。だって、知ってしまったから。
流川くんが執着するのはきっと、バスケットボールと三井さんだけだということを。
<fin.>