僕のシリウス《仙越》

 所詮あいつとは住む場所が違うんだ、と思っていた。
 恵まれた体躯に、ずば抜けたバスケセンス、ついでに誰もが振り向くような完璧なルックス。神は二物を与えず、なんていうけれど、あんなのは絶対に嘘だ。実際のところ、神様だって与えるヤツには色々と与えているに違いない。陵南高校に入学して、仙道彰という圧倒的に光り輝く“才能”を目の前にしたとき、越野は本気でそんなことを思った。

 田岡が東京から引き抜いてきた天才少年ーーそんな触れ込みもあり、入学当初は上級生はおろか同級生さえもなんとなくみんな仙道を遠巻きに見ていたのだが、そんな空気は彼の人柄を知るとすぐに覆された。圧倒的な実力と、それにもかかわらず全く驕ったり偉ぶったりしない人の良さ。即レギュラー入りを果たしたところで、他の1年生と同じように練習の準備も後片付けもちゃんとやるし、荷物持ちだってやる。むしろ「オレ、身体がデカいから」と、自ら同級生よりも多く持ったりするくらいだった。
 それに仙道は、天才と呼ばれるその才能にカマかけて、決して練習をおろそかにするような選手ではない。ということである。遅刻癖やサボり癖がフィーチャーされがちなので意外かもしれないが、田岡が神奈川一と自負する陵南高校の厳しい練習をこなし、2年時のIH予選では海南の牧と互角の戦いを繰り広げた。その際、監督である高頭が思わず「いいディフェンスをする……」とこぼしている。実際、ディフェンスは一朝一夕でどうにかなるような単純なものではない。日々のたゆまぬ努力が全てのものを言う。しかもそれは、フットワークといった地味で楽しくもなくて、なおかつしんどい努力だ。
 そんな仙道の姿を一番近くで見てきたからこそ、越野は仙道を誰よりも信頼していたし尊敬もしていた。だからこうやって、大学を卒業して普通のサラリーマンになった自分と、今や “日本の若きエース” として日本のバスケ界を牽引している仙道が今でも一緒にいて、しかも同じ屋根の下で二人暮らしをしているなんて、夢なんじゃないかと思う時があるのだ。

 いつだったか、珍しく仙道が厳しい顔をしてスマホを眺めていることがあった。それはむしろ、“眺めている” というよりは “睨んでいる” といった方がいいような。

 ーー いざ、W杯へ! 日本の若きエース、仙道彰の可能性に迫る!

 昔からそうだ。仙道はあまり、不安や悩みを口にしない。
 いつだって飄々としているので、「お前、プレッシャーとか感じないの?」と聞いたことがある。そしたら「そんなわけないじゃん。オレだって普通の高校生だぜ?」と返されたっけ。その時に初めて、「仙道もオレと同じ高校生で、人間なんだ」と仙道のことを本当の意味で受け入れることができた気がする。ーー腑に落ちた、とでもいうのだろうか。
 それからというもの、今まで常に一定だと思っていた仙道のメンタルも実は全くそんなことはなくて、自分たちと同じように普通に緊張もするし落ち込んだりもするんだな、ということが隣で見ていてなんとなくわかるようになった。

「だからいいんだよ、お前はお前で」

 何かと人より背負いがちな仙道の荷物を代わりに持ってやることは、自分には難しいかもしれない。だから少しだけ、その荷物を軽くして背中を押してやるのだ。そうすれば、あいつは勝手に前へ進んでいく。これからもそうやって一緒に生きていけたらいい。

 そして今、日本代表のユニフォームを着た仙道がW杯のコートの上に立っている。さすがに現地まで応援には行けないのでTVの前での応援だが、BSといえども地上波でバスケの試合が観られるようになったのはやはり、仙道や流川、桜木、沢北などをはじめとした “黄金世代” の功績が大きい。
「いい顔してんじゃん」
 ベンチの様子が映り、続いて仙道の顔がアップでカメラに抜かれた。試合前の程よい緊張感と高揚感が混ざり合った、高校時代に隣で何度も目にしていた、あの顔。

 試合開始のホイッスルが鳴る。

 結局のところ、出会ってから今までずっと仙道は自分の一等星なのだ。
 誰もが憧れるスーパースター。まばゆいほどのその輝きに、間違いなく自分も魅せられた内の一人だ。
 高校を卒業して一緒にプレイすることはなくなったけれど、それでも仙道の一番近くにいるのは自分なんだと思うのはうぬぼれだろうか。それでもいい。それでもいいから、これからもずっと近くで、あいつの輝いている姿を見ていたい。
「せんどぉぉぉーーー! いっけぇぇぇーーー!」
 そしていつかは自分も、仙道みたいに日本中をとは言わないけれど、せめてあいつ一人分くらいは照らせるような存在になりたい。長身の外国人選手を相手に華麗なダブルクラッチを決めた仙道を見ながら、越野はふと、そんなことを思った。

<fin.>