「いい結婚式でしたねぇ」
共通のバスケ関係者の結婚式に参列した帰り、翌日は休みだしせっかくだからと併設されているホテルの部屋も一緒に予約した。由緒正しき式場なだけあり、その部屋も予想を裏切らない豪華さである。
結婚式特有の多幸感と、昔の仲間たちに久しぶりに会えた高揚感も相まってか、いつもより明らかにハイペースで飲んでいた仙道がにこにこと楽しそうにベッドに座りながら揺れている。
「……三井さん」
「ん?」
酔っ払いは危ないから風呂なんか入るな、と言っても「嫌です! 三井さんと入りたいです!」と駄々をこねて聞かないので、三井は説得するのを早々に諦めた。一人で浴室に突っ込んだ挙句、うっかり溺死でもされたらたまったものではないので、見守りも兼ねて二人で一緒に入り、風呂上がりでご機嫌な仙道の髪をドライヤーで乾かしてやるという出血大サービス付きだ。
「新婦さんがご両親に感謝の手紙読んでたじゃないですか。定番ですけど、やっぱり感動しますよね。俺、泣いちゃいました」
スポーツ選手なんかをやっていると普段は好きなように飲めないだろうし、気心知れたメンバーたちの中でつい気が緩んでしまったのだろう。たまにはこんな日もあってもいいよな、なんて思いながら、セットされていない黒髪をサラサラと梳いてやる。仙道は「三井さんに触られるの、気持ちよくて好きです」と目を瞑ってされるがままにされていた。
幸せだな、と思った。
仙道からは、同じシャンプーの爽やかな香りがする。
バスケ日本代表にも名を連ねるほど才能溢れる仙道が、オフの場ではこんな風に三井の前で甘えているなんてきっと他の誰も知らない。それがとてつもなく幸せで、なんていうかどうしようもなく好きだ。
好きだ。
「……三井さん」
「ん?」
そのはずなのに。
「……別れましょう」
「は?」
仙道の口から出てきた予想外の言葉に、思わず三井の手が止まった。
「なんでそうなるんだよ?」
「だって、俺とこのまま付き合ってても、今日みたいに堂々とたくさんの人たちに祝福してもらうのは無理ですよ?」
あぁ、普段より飲むペースが早かったのは、きっとこのせいもあったのか。
いつもと違う仙道の様子が腑に落ちた三井は、再び手を動かして目の前の黒髪を乾かし始めた。そして、そのまま続きを促す。
「それに、三井さんのご両親に孫の顔も見せてあげられませんし。俺は、三井さんにとって幸せな存在じゃないのかもしれません」
言い切った仙道が、ふぅ、とため息をついた。
ばーか、ため息つきたいのはこっちの方だ。また勝手に変なスイッチ入りやがって。
「……仙道。酔っ払いの戯言に付き合う気はさらさら無かったけどなぁ」
三井はそう言ってドライヤーのスイッチを切ると、回り込んで仙道の顔をじっと見つめた。
目が合った仙道の視線がびくん、と不安げに揺れる。
別れましょう、と言い出したのは仙道なの方なのに、いざ三井が返事をしようとすると怯えた表情になる。でも、そんな仙道の気持ちがわからないでもない。自分だって、実際口にしたことはないけれど、同じような理由で仙道を手放してやった方がいいんじゃないか、なんて考えたことは一度や二度ではない。
「お前はたくさんの人に祝ってもらいたいから、俺と付き合ってるわけ? それにお前のその言い方だと、俺の親父とおふくろのために子供作るのが幸せみたいに聞こえるぞ? そもそも、子供がいれば幸せなんて誰が決めたんだよ?」
だけどそんなことは絶対に無理だということを、毎回痛いくらい実感するのだ。でも、きっとそれはお前も同じだろう、仙道?
「人の幸せなんか、誰かのものさしで測れるものじゃねーんだよ。つーか、俺が何に幸せ感じてるかなんて、お前が一番わかってんじゃねーの?」
こっちは、付き合う前からずっといろんな覚悟を決めてお前と向き合ってるんだよ。
そう言い切った三井を、仙道が「ごめんなさい」と強引に引き寄せて、そのままぎゅっと抱きしめた。
「……三井さん」
抱きしめる力が強くなる。
息を、吸って、吐いて、もう一度吸って。
抱きしめる力を緩め、回していた腕を解いてから今度は三井の手をぎゅっと握ると、覚悟を決めたかのようにその目をじっと見つめた。
「結婚しよ?」
「え、嫌だけど」
「えっ!?」
間髪入れずにそう答えた三井に、仙道は「なんでですか!?」と、絶望に打ちひしがれた表情を浮かべる。別れましょう、と言ったかと思えば、次はプロポーズ。高低差ありすぎて、耳がキーンとなるやつだ。
「言っただろ? 酔っ払いの戯言は聞かねぇって」
「酔ってません!」
「だったら、今からするか?」と言いながら、三井は目の前にあるバスローブの紐を解き、大きく開いた仙道の胸元に唇を押し付けて軽く吸いながら肌を撫でた。
「んっ……」
そのまま下へ、下へと、愛撫を落としていく。仙道は気持ち良さそうにその行為に浸っていたが、しばらくすると上の方からスヤスヤと寝息が聞こえてきた。
ーーん? 寝息?
きっと今日一日でよほど神経を使ったのだろう。ヘコんだり、考え込んだり、かと思えばいきなりプロポーズをしてみたり。テンションの振り幅が大きすぎたに違いない。
「なーにが、酔ってません! だよ。全然勃たねぇじゃねーか」
三井は笑いながら、ボスっと仙道の上に倒れこんだ。そのままゆっくり息を吸い込むと、自分の鼓動と同じリズムの鼓動が重なって、ひどく心地よい。その温かさと、感触と、仙道の匂いを感じながら目を閉じると、全身が穏やかな眠気に包まれる。
七里ヶ浜の海岸で、当時高校二年生だった仙道に「好きです、付き合ってください」と言われてから何年経ったのだろう。紆余曲折を経て、あれから数え切れないくらいの時間を一緒に過ごしてきた。
それでも目を瞑ると思い出すのはやはり、あのとき目の前にあった眩しいくらいの青なのだ。
そうだ。今度、仙道と指輪でも買いに行こう。そういったカタチにはあまりこだわらないけれど、一生一緒にいるという“証”としてはちょうどいいだろう。
できるだけシンプルで、普段使いもできそうな。内側に、湘南の海の色ようなサファイアなんかを埋め込んでもいいかもしれない。
次、仙道がプロポーズをしてくるのはいつになるのだろうか。
「意外とお前、ヘタレだからなぁ……」
よりによって、別れましょう、だなんて。俺もお前も、そんなこと絶対にできないくせに。
「……あんまりのんびりしてっと、俺から言っちまうからな」
髪が下りて、いつもより少し気が抜けたような穏やかなオフの顔。こんな無防備な仙道の姿を見ることができるのも三井だけの特権だ。安心しきった顔でスヤスヤと眠る恋人を眺め、優しく髪を撫でながら三井はポツリとひとりつぶやいた。
<fin.>