umbrella《流三》

 その日は、夕方から雨が降り出した。
 星も月も隠れてしまった暗い空から降るそれは、夜が濃くなるにつれより強さを増しているような気がする。
 推薦で大学進学を決めた三井は引退後もこうやって定期的に部活に参加し、練習後も変わらず流川の居残りに付き合ってくれていた。そして、当然のように二人で一緒に帰り路を歩く。
「明日はもっとひどくなるってよ」
 ひとつの傘を二人で、というのは案外狭く、しかもそれなりにガタイのいい男が並んで入れば肩がぶつかり合いそうな近さである。それでも決して、文句は言わない。
「さすがにチャリでは来れないかもな」
 流川は何もこたえない。三井の卒業を目前に控えた、暦の上では随分前から春だというにまるで冬のような寒さが残る帰り道だった。もう二度と、同じ制服を着て同じ道を並んで帰る季節はやってこないのだ。これから先、二人は全く違う道を歩いていく。それでも流川が高校生のうちはまだいい。2年後に流川が高校の卒業を迎える時、きっとその道は一気に遠く離れ、雨が降っても傘を差し出すことはできないし、ひとつの傘に身を寄せ合うこともできないだろう。
「……先輩と歩く雨の日が、結構好きだった」
 電車で通学する三井と、自転車で通学する流川。雨の日の帰り道だけ、二人きりで並んで歩くことができた。ひとつの傘に入っていても、他人の目を気にすることもない。

 恋をしていた。

 数え切れないほどの喧嘩もしたし、真夜中にどうしても声が聴きたくなって携帯を手にすることもあったし、肌と肌を重ねて愛し合うこともあった。それでもやはり、卒業後の進路や二人の関係の不確かさ、そしてそれ以上に言葉にすることができない小さな不安の数々が少しずつ積もり積もっていく。
「……早く、大人になりてぇな」
 三井が、ふっと吐き出す息とともに呟いた。
 どんどん強くなっていく雨が、二人をそっと隠してくれる。もっともっと強くなって、二人の姿を丸ごと飲み込んでくれればいいのに。口に出したい想いはたくさんあるはずなのに、二人とも何も言わずに歩いた。三井が自分の傘を取り出す、分かれ道まで。

 残業を終えて電車を降りると、雨が降っていた。三井は空を見上げ、ふぅとため息をつく。急な雨でコンビニのビニール傘は売り切れだし、タクシー乗り場も長蛇の列だ。それに、今住んでいるマンションまでは急げば5分ほどで着く。
 仕方ねぇ、ひとっ走りするかーーと覚悟を決めたその時、前方に傘を持った長身の影を見つけた。
「……雨、降ってきたから迎えにきた」
「お前にしては、気が利くじゃねぇか」
 そう言って、傘を差し出す流川の頭をポンポンと叩いた。
 二人が暮らすマンションまで、急げば5分。しかし急ぐ必要はどこにもない。二人で肩を並べながら、ひとつの傘をさしてのんびりと歩く。
「……先輩、肩はみ出してるから、もうちょっとこっち」
「そんなこと言うなら、2本持ってこいよ」
「……るせぇ」
 照れる流川に、三井はわざと自分の肩をドンとぶつけた。他人の目なんて気にしない。それに、誰が何と言おうとこいつの隣を歩いていたいという自信が今はある。
 二人が歩く道の先に、マンションの明かりが見えてきた。
 そんな二人を、雨が優しく包み込む。街と車の明かりに照らされたそれはまるで、幸せな二人を祝福するバブルシャワーのようだった。