巡る季節② 弟の初恋

 弟がモテすぎて困るんです。

 そんなことをいうと、なんて弟贔屓のブラコン発言なのだと思われそうだが、自分の場合はそれが本当なので仕方がない。
 今年の春から高校生になった弟の流川楓は、昔から恐ろしいほどにまぁモテた。
 その麗しい見た目に惹かれ、少なくとも幼稚園の頃には既に「楓くん、一緒に遊ぼう」と周りに女子が群がっていたが、それに拍車をかけたのは間違いなく小学生から始めたバスケットボールだ。何事にも無関心だった楓が珍しく興味を示し、面白いくらいにのめり込んだ。夢中になってボールを追いかける日々の中でメキメキと頭角を現し、その人気は学校内にとどまらず、試合を通じて市内へ、そして県内へと飛び火していったのである。
 
 と、ここまではいい。
 姉の贔屓目かもしれないが、実際弟の顔立ちは相当いい。さらさらの黒髪に、長い睫毛、すっきりと通った鼻筋。これに身長の高さも相まって、外に出れば誰もがすれ違いざまに横目で彼を見るし、すれ違った後もなお振り返る。そのあまりのモテっぷりを目の当たりにして、ためしにJのつくアイドル事務所に履歴書を送ってみよう、なんて考えたことも1度や2度ではない。
 しかし、そうしなかった理由。そして、弟がモテすぎるゆえ困っている理由。

 それは、楓のコミュニケーション能力がゼロである、という悲しい現実。

 いくら女の子たちが大勢群がろうが、手紙やプレゼントを渡そうが、告白しようが、彼はそれを「興味ないんで」の一言で一蹴し、全く相手にしない。そんなことが続くと、しびれを切らした彼女たちが次に目をつけたのは“流川くんのお姉さん”である、自分だ。「これ、流川くんに渡してください」「流川くんの好きなものって何ですか」「流川くんって好きな人とかいるんですか」「流川くんは……」「流川くんに……」「流川くんの……」
 弟のファンを邪険に扱うこともできず適当にあしらってはいるものの、とにかくその数が半端ない。それこそバレンタインともなれば、彼女たちからもらうチョコレートの数は、おそらくその辺のアイドルに負けず劣らず、の人気っぷりである。
 いっそ本命のカノジョとかつくってくれた方がこっちも楽なのに。と、自分よりもはるかに背の高くなった弟を見ながらぼんやりと思う。

「寝癖くらい直してから学校行きな」

 なにかと面倒なことも多いが、5つも年が離れていることもあり、なんやかんやで可愛い弟。
 難攻不落のこの男を落とすのは一体どこの誰なのか、そしてそれはいつ訪れるのか、姉としても非常に気になるところではある。

 最近、そんな楓の機嫌がとてもいい。

 機嫌がいいといっても、その微々たる違いがわかるのはおそらく家族くらいなものだろう。ダテに彼の姉を15年もやっていない。
 先日、念願のインターハイ初出場を決めたからか。
 それとも、その大会で県ベスト5かつ新人王に選ばれたからか。
 彼の機嫌がいいことなんて、バスケ以外で思いつかない。しかし、それとはどうやら違う気がする。女の勘、もとい姉の勘がそう言っている。

 そして、極め付きは先日のこの発言だ。

「姉ちゃん、好きってなに?」

 まるで、小学生か! というような質問だが、なんせ相手はあの楓である。
 楓が「好きってなに?」だなんて。そんなの「クララが立った〜!」くらいの衝撃だ。
 風呂上がりの1杯、と冷蔵庫からキンキンに冷えた缶チューハイを取り出し、プルタブを開けたところでのこの発言。うっかり缶を落とさなかった自分を褒めてあげたい。
「え、なに? まさかあんた、好きな子でもできたの?」
「それがわからないから聞いてる。バスケが好きなのとはちがう?」
「それは間違いなく違うね」
 楓が恋をした?
 もしかしたら、もしかしなくても初恋なんじゃないか。相手は? 同じ学校の子だろうか。年上か、それとも同級生? どこで知り合ったのか……聞きたいことは山ほどあるが、ここで慌ててはいけない。まだあわてるような時間じゃない。それに、うっかり質問ぜめにしてウザがられでもしたら、こんな楽しい話が一生聞けなくなる。それだけは、なんとしてでも避けたい。
 自分を落ち着けるべく、ひとまずチューハイを一口飲み、ふぅ……と大きく息を吐いた。
「そうね……とりあえず、好きな人に対してはドキドキするかな」
「ドキドキ……」
「別に、バスケにドキドキはしないでしょ?」
「強いヤツに会うと、ドキドキ?」
「いや……あんたの場合それはたぶん闘争心だから、ドキドキっていうよりワクワクとかメラメラじゃないの?」
「ナルホド」
 最初の講義は、まさかの恋愛感情と闘争心の違いについて。嘘でしょ、そこから?
 しかし、あの天上天下唯我独尊男がはじめて恋をしたのだから、それもまぁ仕方がない。初めての感情に、本人も戸惑っているのかもしれない。なんてったって、流川さんちの楓くんより、回転寿司にいるペッパーくんの方がよほど喋るし感情表現が豊かなのだから。
「好きな人と一緒にいるとドキドキもするけど、やっぱ安心感あるよね。居心地がいいっていうかさ」
「いごこち……」
「そう。笑ってくれると嬉しいし、匂いに癒されたりもするかも」
「ナルホド」
 珍しく人の話を真剣に聞いている楓が、切れ長の目をパチパチさせながら、納得したようにコクンと頷く。
「いい匂いと思う相手とは遺伝子レベルで相性がいいらしいよ。あとはアレだ。嫉妬は好きな人に対してしかしないよね。嫉妬は恋とともに生まれるんだよ」
「シット?」
「ヤキモチだよ。相手の子がカエデ以外の男と一緒にいたり仲良く話してるのを見たりした時に、イライラしたことない?」
「ほう……」
 何か思い当たる節があるのか、指を顎に当ててしばらく考えたあと、ゆっくりとその視線をこちらに向けた。
 初恋を姉に相談してくるなんて、うちの弟はなんとも健気じゃないか。そう考えると、なんだか急に目の前の無表情が可愛く思えてきて、ふふふと自然に笑みがこぼれる。
「なんとなく、わかった……かも。また相談させて」
「がんばれよ、青少年!」
 弟の頭を思い切りくしゃくしゃと撫で、飲みかけの缶チューハイをぐいっと煽る。
 初恋万歳! あぁ、今日のお酒はなんておいしいんだろう。酒の肴はやはり、恋バナに限る。まさか楓とこんな話ができる日が来るなんて、思ってもみなかった。

 それにしても、あの楓が恋に落ちるなんて、一体どんな子なんだろう?

 まだ見ぬその相手に思いを馳せながら、残りのチューハイを一気に飲み干した。

「また相談させて」と言った楓の“また”は、意外とすぐに訪れた。

 インターハイ前の強化合宿とやらでしばらく家にいなかったと思ったら、どうやらそこでいろいろと進展があったらしい。
 詳しい話を聞くべく、リビングのソファーに二人で並んで座る。クッションを抱きしめ、青春かよ! と心の中でにやけながらも、あくまで冷静な表情をつくって弟の話に耳を傾けた。

 ロビーで寝落ちした自分が目を覚ましたら、先輩が隣に座って髪を撫でてくれていたこと。
 最後の夜に、一緒に花火をしながらたくさん話したこと。
 線香花火の勝負で負けたので、先輩を自転車の後ろに乗せて駅まで送ったこと。 

 無表情でボソボソと話す姿は一見普段となんら変わらないが、その言葉の節々から「大好き」が滲み出ている気がする。
 なんと。これぞ、アオハル。高校生万歳!
「先輩ってことは、年上だよね? 一緒に合宿に行ったんだから、同じ部活にいるってこと?」
 楓がコクンと頷いたので、バスケ部のマネージャーの子かな、と見当をつける。某野球マンガのたっちゃんとミナミちゃんみたいなことか。「楓くん、ミナミをインターハイに連れてって!」――いいねぇ、ありがち。王道じゃん、推せるわ。
 それに、楓には年上の方が合っているような気がする。基本、言葉足らずで喜怒哀楽に乏しいので、ある程度精神年齢が上でないと、相手にするには厳しいだろう。
「ねぇ、その“先輩”ってどんな子なの?」
 頭の中のミナミちゃん……もとい、“先輩”を具体化させるべく、新たな情報開示を要求する。
 うーん……と唸りながらも、ポツポツと楓が“先輩”の特徴を教えてくれた。
「明るくて、面倒見がイイ、笑った顔もイイ」
 明るくて面倒見がいい、最高じゃないか。むしろ楓と一緒にいるのに、大人しいタイプだったら致命的だ。沈黙は金という言葉があるが、もはやそこには沈黙しかなくなる。それに、相手の笑顔が好きだと思えるのはとても素敵なことだ。
「顔はどんな? 可愛い系?」
「カワイーかどうかはわかんないけど、顔はイーと思う」
「なるほど」
 どっちかっていうと美人系ってことかな?と思いながら頭の中で“先輩”のイメージを膨らませていると、次の言葉に見事にカウンターをくらった。
「それと……先輩は元ヤン」
「はぁ!? え? 元ヤン?」
 面食らった自分を尻目に、楓は「そう」と頷き、事も無げに続ける。
「しばらくグレてたんだけど、結局泣きながら戻ってきた」
「へぇ〜それはまた、なかなかドラマチックな展開で」
「全中出てるし、県でMVPも取ったことあるらしいから、元々はすごいヒト。シュートもめちゃくちゃキレイ」
 元MVPで元ヤンの美人マネージャーか……すごいな、色々と設定がモリモリじゃん。
 それにしても、なんでそんなすごい人がわざわざ戻ってきたのに女バスのプレイヤーじゃなくて男バスのマネージャーなんだろう……と不思議に思ったものの、もしかしたら大怪我でもしたのかもしれない、と考え直す。バスケに怪我はつきものだ。
 しかしそれでもなお、バスケへの情熱が諦められなかったのだろう。今はマネージャーの立場で、夢を追いかけているのかもしれない。そりゃあ「楓くん、ミナミをインターハイに連れてって!」なんて言いたくもなるわ。――やばい、ますます推せる。そして、楓はその約束をちゃんと守ったと。なんだこれ、最高じゃん。妄想だけど。
「今は、バスケがイチバンだって。そういうトコもイイ」
「よかったね、あんたとおんなじじゃん」
 ふふふと笑って楓の顔を覗き込むと、さも嬉しそうな――その違いがわかるのは家族くらいだろうが――表情をしていて驚いた。楓がこんな顔をするなんて。
「あとは、先輩のバスケに対する考え方とか姿勢とか、ソンケイしてる」
「いいことじゃん。恋愛には尊敬の気持ちが大切だよ」
 たしかに恋愛感情だけでも、恋はできる。しかし、相手を尊敬する気持ちがあったほうがより長く深い関係を築くことができるものだ。それは一般的に、恋愛感情が相手に対して本能的に惹かれるのに対し、尊敬感情は理性的に惹かれるからだといわれている。
 なんだか、思った以上に素敵な恋をしているようで安心した。
 そして、この子にもこんな感情があったんだな――と、当たり前のことにホッとする。楓の穏やかな表情を見ながら、彼をこんなにも成長させてくれた“先輩”に感謝しなくてはと思った。
「先輩にスキになってもらうには、どうしたらいい?」
「そうねぇ、押したり引いたりなんてあんたができるとも思わないし……」
 ちらりとその恐ろしいほどに整った横顔を見ながら考える。どんなにバスケのコート上での駆け引きが天才的でも、恋の駆け引きなんていう高度な技を到底この男が使いこなせるとは思えない。
「とりあえず、ありったけの“好きです”っていう気持ちを込めて、その子を見つめてみたら?」
「それだけ?」
「だって、他にあんたにできることあんの? その子と気の利いた会話したりとか、デートに誘ってみたりだとか。デートだって、誘って終わりじゃないからね? デートコース決めてエスコートして……っていうのを当然あんたがやるんだからね?」
「……ムリ」
 そりゃそうだ。生まれてこのかたコミュニケーション能力を養う努力を放棄してきたのだから、そんな簡単にうまくいくはずがない。
「まぁ、あんたは顔面偏差値だけは無駄に高いんだからさ、まずは自分が今できることでがんばってみなさいな」
 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
 この言い回しの男性バージョンがないのが残念だが、これを地でいく楓の眼差しを受けたら大抵の女の子はコロッといっちゃうんじゃないか、なんて思うのはやはり姉の贔屓目だろうか。
 しかし話を聞く限り、その“先輩”も楓のことを憎からず思ってくれているような気がする。意外と実はもう両想いなのに、鈍すぎるというか相手の気持ちが全くわからない楓がそれに気づいていない、という可能性もなきにしもあらずだ。
「わかった……やってみる。また相談させて」
「がんばれよ、青少年!」
 可愛い弟の初恋が、どうかうまくいきますように。
 自分よりもだいぶ高いところにある、クセのない真っ直ぐな黒髪をくしゃくしゃと撫でながら、今度久しぶりに楓の試合でも観に行ってみるか……と、まだ見ぬ元MVPで元ヤンで美人マネージャーの“先輩”に思いを馳せた。

 しかし翌日、部活から帰ってきた楓が「姉ちゃんが言った通りガン見したら、先輩にガン飛ばすなって怒られた」と不服そうに訴えてきたのは、また別の話。

 8月某日、広島。

 審判のホイッスル、バッシュの擦れる音、メガホンと鳴り物道具の大音量、観客の声援、東西南北 全国各地 様々な高校の応援旗。
 想像以上の熱気と観客の数に若干慄きながら、キョロキョロと両親の姿を探す。

「お姉ちゃーん! こっちこっち!」
 2階観客席の通路をウロウロ行ったり来たりしていると、下から母親の声が聞こえた。隣の席を取っておいてくれていたようで、急いで席に向かい、先ほどコンビニで買ったペットボトルの烏龍茶を開けて一息つく。
「だけど意外ね、わざわざあんたが広島まで来て楓の試合を観たいだなんて」
「だって、すごいじゃん。インターハイなんて。せっかくなんだから楓の勇姿を見届けないと!」
 いつのまにか神奈川でも名の知れた選手に成長したという弟のプレイを観たい気持ちが半分、広島焼きを食べて厳島神社にも行きたい気持ちが半分。そしてやはり、それ以上に気になるのは……楓の想い人である“先輩”の存在だ。せっかくここまで来たのだから、マネージャーのミナミちゃんがどんな子なのか実際に見てみたいという野次馬根性がそれなりに。

「それにしても、まだ2回戦なのに観客の数すごくない? 高校バスケってそんなに人気あんの?」
 甲子園で行われる高校野球ならまだしも、バスケはまだまだマイナーなスポーツだ。一部の熱狂的なファンはいても、どちらかというと「知る人ぞ知る」という感じが否めない。それなのにどうだ。今日の観客席はまるで、決勝戦のような大入り満員ではないか。どういうことかと母親に尋ねると、困ったように答えた。
「それがねぇ……相手の高校がすっごく有名で、すっごく人気で、すっごく強いらしいのよ」
「え? すっごく強いってどれくらい?」
「なんだお前、そんなことも知らないで広島まで来たのか」
 隣にいた父親が呆れたようにそう言うと、バスケ雑誌の各校紹介ページを見せてくれた。
「楓のいる湘北高校がこれ、今日の相手の山王工業がこれだ」
「えっと……湘北高校がCランク、山王工業はAAランク……えー! つまり相手は優勝候補ってこと? 何それ。格が全然違うじゃん!」
「勝負に絶対はないからわからないけどな。まぁどっちにしても、楓の高校を応援してるのなんて、この一角に座ってる湘北関係者くらいだろ」 
 改めてあたりを見回すと、そばにいるのは選手の保護者らしき大人と湘北の制服を着た可愛らしい女の子3人組、友達の応援に来たのかちょっとヤンチャっぽい男の子4人組と、“炎の男 三っちゃん”“RUKAWA LOVE”とそれぞれ書かれた旗を持った応援団と親衛隊がそれなりに。
 つまり、それ以外の観客は皆、絶対王者の山王工業目当てで来ている完全アウェイ状態ということか。
 それにしても。
 何か特別にファンサをしてくれるわけでもない、あの超絶塩対応男の応援にわざわざ広島まで来てくれるなんて、親衛隊の女の子たちの愛情はきっと海よりも深い。それなのに、当の楓には他に想い人がいるわけで。なんだか、彼女たちには帰りにもみじ饅頭でも買って渡したいくらいだ。椛と楓の組み合わせ、案外悪くない気がする。

「あっ! 出て来たわよ!」
 母親が嬉しそうに指をさした先には、湘北のジャージを着た選手たち。そして、観客の大歓声の元、会場に姿を見せる山王工業の選手たち。
「まぁでも……」
 ふと、恋愛感情と闘争心の違いについて話した時の楓の言葉が蘇る。
 ――強いヤツに会うと、ドキドキ?
「楓は相手が強ければ強いほど燃えるタイプだから、意外と面白くなるかもよ」

 真下で練習する湘北の選手たちの様子を眺めながら、目当ての“先輩”の姿を探す。
 ――ゴリラっぽい先輩、メガネの優男くん、小柄なツーブロくん、赤頭くん……お、あの茶髪の人ちょっとかっこよくない?
 思わぬところに好みの顔を見つけたので、思わずじっと見つめてしまう。男前に反応してしまうのは女のサガだ、許してほしい。
 そんな彼が放つ素人の自分でもわかるくらい美しいシュートを拝んだ直後、ベンチの方に目をやると、監督らしき白髪の男性と言葉を交わす女の子の姿が視界に入った。ソバージュのような髪に、目鼻立ちのはっきりとした顔立ち。高校生とは思えない、エキゾチックな美人。あれはなかなか倍率が高そうな……。

 間違いない、あの子がミナミちゃんだ。
 
 元MVPで元ヤンの美人マネージャー……たしかに言われてみれば、スケバン姿が似合いそうな気がしないでもない。ただ、選手のためにキビキビと働き快活に笑うその姿からは、とても想像できないけれど。それになぜだろう、なんだかしっくりこない気がする。妙な違和感。
 心の中に引っ掛かりを感じつつ、首を傾げながら一人で考えを巡らせていると、そんな思考は観客の困惑にも似たどよめきにかき消された。
「え、なに? どうしたの?」
「やだあんた、見てなかったの?」
 目を見開いたまま、母親が慌てたように答える。
「今、あの赤い髪の男の子が相手側のゴールにダンク決めたのよー!」
「……ハァ?」
 慌ててコートを覗くと、ちょうど相手の選手が「おかえし」とばかりに湘北ゴールへダンクを決めようとしたのを、楓とゴリラっぽい先輩がボールを投げて阻止したところだった。
 ――なんか、試合前からバチバチじゃない?
 この試合は、一筋縄ではいかない気がする。そんな予感を覚えながら、ゴクリと息を呑んだ。

 “一筋縄ではいかない気がする”
 結論から言うと、その予感は的中した。

 目まぐるしく変化していく試合展開。
 圧倒的な強さを誇る、山王工業の高くて硬い壁。
 全ての流れを一気にかっさらっていくような、湘北の激しい波。
 絶望と希望が入り乱れる。
 試合終盤になるにつれ、涙と震えが止まらない。
 ラスト1分は間違いなくこれまでの人生の中で一番濃厚で、それでいてこれほど時が過ぎるのが遅いと感じたことはなかった。

「ちょっと、あんたヒドい顔してるわよ」
「お母さんだって〜!」

 試合終了のホイッスルが鳴る。
 涙で顔がぐしゃぐしゃだ。もはや、メイクもなにもあったもんじゃない。
 一瞬の沈黙の後、一気に爆発する観客席。
 歓喜に沸く湘北ベンチを見て、ようやく身体の力が抜ける。
 息が苦しい。その時初めて、自分がうまく呼吸できていなかったことに気がついた。

 どうやら犬猿の仲らしい、楓と10番の赤頭くんのハイタッチを見て再び涙がこぼれ落ちる。

 しかしそれ以上に私の胸に焼きついたのは、その後すぐに抱き合う、楓と14番の姿だった。
 理由はわからない。
 それはやはり、女の勘……もとい姉の勘だったのかもしれないと、今となっては思うのだけれど。

 律儀にも「先輩と付き合うことになった」と楓が報告してきたのは、背中に“JAPAN”の文字が入ったジャージを家族に見せびらかしてから少し経った、新学期が始まってすぐの頃だった。

「ほんとに? よかったじゃん! おめでとう!」
 楓が嬉しそうにーー相変わらず表情は乏しいけれど――コクリと頷く。
「先輩にスキです、って言ったら、先輩もオレのことスキだって」
「じゃあ、両想いだったんだね」
 欲を言えば告白のシチュエーションなど事細かに聞きたいところではあるが、その最高に幸せそうな表情に免じて今は良しとしておく。
「今度の休み、先輩とヨコハマに行ってくる」
「お、初デートじゃん」
 その時ふと、夏休みに広島で見たミナミちゃんの姿が蘇る。
 あの時感じた違和感はなんだったのか、結局今でもわからないままだ。しかし、目の前の弟の幸せそうな顔を見たら、そんなことは取るに足らないことのような気がしている。
「いいねぇ横浜。中華街行って美味しいもの食べて、帰りに観覧車に乗ってみなとみらいの夜景でも見てくればいいよ」
 ついでにそこでキスの1つや2つでも――というのは、さすがにベタすぎるか。
「なんか、買ってきてほしいものある? イロイロ話聞いてくれたから、お礼に」
 一瞬、言葉を失った。あの楓が、お礼なんて。
 弟の思わぬ変化と成長に感激しながら、せっかくなのでお言葉に甘えることにする。ミナミちゃん、ありがとう。
「じゃあ……久しぶりに江戸清の豚まんが食べたいなぁ。テイクアウトもできるから、ついでにミナミちゃんと一緒に食べ歩きしてもいいんじゃない? おいしいよ」
「ミナミちゃん……?」
「あ、いや、こっちの話」
 訝しげにこちらを見る楓から目線をそらし、店の名前と駅からの行き方をササッと書いたメモを手渡す。
「楽しんできなね」
 
 豚まんを頬張りながら、手を繋いで楽しそうに中華街を歩く二人の姿を想像する。
 いいなぁ、幸せじゃないか。むしろそこには、幸せしかない。

「またなんかあったら、いつでも話聞くからね」
「よろしくご指導……ご鞭撻のほど」
「なにそれ。そんな難しい言葉、どこで覚えたの?」
 予想外の楓のセリフに吹き出しながら、くしゃくしゃとその頭を撫でる。弟の初恋が叶って本当に良かった、なんて微笑ましく思いながら。

 しかし、自分がそれまで盛大な勘違いをしていたことにようやく気付いたのは、それから3ヶ月ほど経った頃。街が華やかなイルミネーションに身を包み、軽やかなクリスマスソングを口づさむ12月に入ってすぐのことだった。

「あれー? お母さん、今日誰か来るのー?」

 珍しくバイトも友達と遊ぶ予定もない土曜の夕方、おいしそうな匂いにつられてダイニングに降りてみるとテーブルに並んでいたのは、我が家では滅多にお目にかかれない手巻き寿司のセット。
「手巻き寿司なんて超久しぶりじゃん。わ、しかもから揚げつき!」
 そのままキッチンを覗くと、母親がせっせと鶏モモ肉を揚げていた。ジュージューという音に、食欲をそそる香り。うちのから揚げは世界一だと子どもの頃から思っているくらい、我が家のから揚げはおいしい。母親曰く、味付けは1:1の醤油と酒、たっぷりのにんにく、それにごま油を少々。前日から下味をつけておき、二度揚げするのがポイントらしい。
「だって、あんた大学入ってからほとんど外で済ましてきちゃうし、楓も最近帰りが遅いし、家族揃ってご飯なんて食べられないじゃない。それに地味に準備が大変なのよ? あんたは全然料理しないからわかんないでしょうけど」
 そのままお小言が始まりそうだったので、急いでその場を離れる。しかも「料理をしないから、今日はご飯いらないっていう連絡を平気で忘れるのよね」という嫌味つき。それはそれ、これはこれな気がするが、その件については全面的に自分が悪いので何も言わない。そしてこういう時は、さっさと話題を変えるに限る。下手に言い訳をすればするほど、ドツボにはまるものだ。

「で、今日は誰が来んの?」
 テーブルに並べてあった厚焼き卵をつまみながら、もう一度母親に先ほどと同じ質問をする。砂糖の甘みと酒がきいていておいしい。しかも、できたて。やばい、これはいくらでも食べられるやつだ。
「なんか、明日はオフだとかで楓の部活の先輩が泊まりに来るんですって。部活帰りにそのまま連れて来るって言うから、お腹空いてるかと思って」
「え? カエデが誰か連れて来るなんて珍しくない?」
 自分の記憶が正しければ、珍しいどころか多分初めてだ。小学生の頃から思い返しても、楓が友達を家に連れてきたことなんて、一度もなかったはず。
「そうなのよ〜だからなんか、嬉しくなっちゃって。食べ盛りの男子高校生2人と夕ご飯なんて、お母さん張り切っちゃうわよね」
 ――男子高校生2人。
 付き合ってまだ3ヶ月だし、さすがにまだミナミちゃんは連れてこないか。
 夜寝る前に部屋で電話している声がしょっちゅう聞こえてくるし、休日はそれなりにオシャレして出かけて行くのを何回か見かけたし、最近帰りが遅いと先ほど母親が言っていた。もしかしたら放課後デートでもしているのかもしれない。あれ以来“相談”もないので、おそらくお付き合いは順調に続いているはずだ。そういえば横浜で初デートの日、すっごく嬉しそうな顔で帰ってきたっけ。そんな弟の変化を微笑ましく感じつつ、いつかはミナミちゃんと直接会って話してみたいなぁとも思うけれど。

 そんなことを考えていると、キッチンにいる母親から声がかかった。
「お姉ちゃん、切り終わったのそっちに運んでくれない? つまみ食いしてないで」
 やばい、バレてたか。厚焼き卵をもう1つ食べようとしていた手を慌てて引っ込め、いそいそとキッチンへ大皿を取りに行く。色とりどりに並べられてるのは、マグロ、イカ、サーモン、いくら、甘エビ、焼きあなご、ツナマヨ、ひきわり納豆、きゅうり、大葉、練り梅。
 それにしても、部活の先輩が泊まりにくるというだけでこの張り切りよう。楓に彼女ができたと知った日には、どうなってしまうことか。A5ランクの黒毛和牛ステーキくらいは出てくるかもしれない。それはそれで、嬉しいけれど。

 そのまま母親が言う通りに料理を運んだり飯台で酢飯を作ったりしていると、玄関からガチャガチャという音と「ただいま」の声が聞こえた。
「あ、帰ってきたみたい。お姉ちゃん、出てあげて」
 パタパタとスリッパの音を立てながら急いで玄関に向かう。そこには普段通り無表情の楓と、その隣には同じジャージを着た茶髪の男の子。あれ、この顔は見覚えがある。そうだ、彼はたしか……。
「イケメンの14番ーーーーー!!!!!」
「え……? イケ……?」
 間違いない。夏に楓の試合を観に行った時に見つけた男前だ。好みの顔に再び出会えたことに感激し、彼の両手を思い切り握ってブンブンと上下に振る。
「インターハイ、観に行ったんです! すっごく感動して! すっかりファンになっちゃいました!」
「そ、それはどうも……」
「姉ちゃん」
 すると、呆気にとられている彼をかばうように、少し不機嫌な様子で楓が割って入ってきた。
「先輩、困ってるから」
「お……おい、流川」
 無理やりその手を解こうとする楓に若干の違和感を感じていると、すかさず奥から声がかかった。
「ちょっとー!」
 見ると、菜箸を持った母親が扉から顔を覗かせている。
「ずるいわよ、玄関ではしゃいで。早く上がってもらいなさい」

 母親との挨拶はさほどかっ飛んだものにはならなかったが、それでもその顔を見れば彼を一瞬で気に入ったことが一目瞭然だ。それに気づいているのかいないのか、楓と同じくらいの身長の彼がいそいそと紙袋を差し出して頭を下げた。
「初めまして、ルカ……楓くんと同じバスケ部の三井寿です。これ、うちのおふくろからなんですけど、よかったら」
「あら〜丸寿のはちみつカステラ! わざわざありがとう。お母様にもよろしくお伝えしてね」
 相変わらず上機嫌を隠しきれない母親が、いつもより1オクターブくらい高い声で受け取る。三井先輩、イケメンでしかも礼儀正しいときた。最高か。

「でも、嬉しいわ〜楓が先輩を連れてくるなんて。それに、こんなに楽しい夕食なんて久しぶり。たくさん食べてね」
「たしかに。カエデ全然喋んないもんね」
 息子と違ってよく笑いよく話す三井くんを前にして、すっかり気をよくした母親があれもこれもと世話を焼きたがる。
「ハハハ……でもお母さんの料理本当にウマいです。特にこのから揚げ」
「でしょう? これだけはちょっと自信あるのよー」
 母親が我が意を得たりとばかりに嬉しそうに笑う。初対面の相手の心をこんなにもすぐに鷲掴みにするスキル。無意識でやっているとしたら恐ろしい。これが人たらしというやつか。
 そんな中、いつものように黙々と料理を口に運んでいた楓がボソッと呟いた。
「先輩と大晦日、初詣行きたいんだけど、イイ?」
「え? 大晦日? あんたがそんなこと言うの珍しいわね」
「たしかに。毎年起きてるのがめんどくせーとか言って、紅白も観ないでさっさと寝ちゃうのに」
 まさかの申し出に母親と二人で驚いていると、三井くんがフォローするように続きを引き取った。もしくは、自分が説明した方が早いと思ったのかもしれない。
「大丈夫ですか? 家族団欒とかだったら悪いなって思ったんですけど」
「いや、うちは全然。私もどうせ友達と年越しするからいないし」
「そうねぇ……まぁ三井くんと一緒なら安心よね」
 彼を気に入ったらしい母親があっさりとそう答え、三井くんも安心したように「よかったです」と言って笑う。 
 その笑顔を見て、誰にも懐かない楓がここまで彼に気を許している理由が少しだけわかった気がした。人たらしなのは間違いない。でも、あまりにも無邪気なその様子からは計算や打算のようなものは全く感じられず、おそらくどんなコミュニティに入っても彼を中心に人が集まってくるタイプなんだろう。
 彼の隣に座る楓の口角も、心なしか上がっているような気がしないでもない。そして次の瞬間、不意に見せた楓の甘えるような視線にギョッとする。楓にこんな表情をさせるとはーー三井寿、おそるべし。それに、なんだか見てはいけないものを見たような気がして、慌ててサーモンを口の中に放り込んだ。

 夕食後、そのままリビングで撮り溜めしていたバラエティ番組を観ていると、風呂上がりの三井くんに居合わせた。
「……あ、さっきはごめんね。私もお母さんもうるさくて。カエデが誰か連れてくるなんて初めてだから、二人とも舞い上がっちゃった」
「いえ、こんな風に歓迎してもらったのあんまりないので嬉しかったです。ありがとうございます」
 社交辞令なのかもしれないが、そんな風に嬉しそうにはにかむ笑顔を見せられてはこちらとしても悪い気はしない。ついついサービスしたくなる母親の気持ちがよくわかる。
「冷蔵庫にお茶とかジュースとかたくさん入ってるから、好きなの取ってって。お母さん、張り切って買い込んだっぽい」
「ありがとうございます。でもなんか、意外でした。流川があんな感じなんで、家の人たちも物静かなのかと勝手に思ってて」
「あーそれ、よく言われる。私がカエデのコミュ力全部持っていったんじゃないかって」 
 ふふふと笑っていると、三井くんの思わぬ言葉に自分の耳を疑った。
「でもあいつ、口数は少ないけど思ったこと全部顔に出るからわかりやすいですよね」
「え!? 三井くん、カエデの考えてることわかるの?」
「まぁ一応……いま嬉しいんだろうなとか、腹減ってるんだろうなとか、拗ねてんだろうなとか、それくらいは」
 信じられない。“何考えてるのかわからない”ことに定評のある楓なのに。家族以外で、あの無表情から感情を読み取れる人が存在するとは。そりゃ、あそこまで懐いて一緒に初詣に行きたいなんて言い出すわけだ。

「でも、三井くんが先輩とは思わなかった。背番号、カエデより大きかったじゃない? 上級生が若い番号つけるのが普通だと思ってたから」
「あー……」
 すると三井くんは少し言い澱み、首を傾げて困ったように続けた。
「一概にそうとは言えねぇですけど……オレの場合、出戻りなんです。IH予選の少し前に戻って来たんで、夏の試合はブランク明けからあんまり時間も経ってなくて」
「そうなんだ。でも、そんなの全然気づかなかった。専門的なことはよくわかんないけど、シュートすっごく入るし綺麗だったし。土壇場の4点プレイとか感動して泣いちゃったもん」
「はは……ありがとうございます。中学時代は全中出られるくらいがっつり部活やってたんで。その頃の財産に感謝してます」

 その瞬間、いつかの楓の言葉が頭の中に蘇る。
 ーー全中出てるし、県でMVPも取ったことあるらしいから、元々はすごいヒト。シュートもめっちゃキレイ。

「……もしかして、元MVPの先輩?」
「あれ? 流川に聞きました? もう何年前の話だよ、って感じなんですけど」
 そう言いながら照れたように笑う三井くんを見て、今までぼんやりとふわふわ漂っていたものたちが、突如鮮明に輪郭をあらわしていく。
 こうなると、今まで見えていなかったものも一気に見えてくるものだ。そう、例えば三井くんの顎の傷だとか。
「三井くんって……もしかしてわりと最近までヤンチャしてた?」
「え!? それもまさか流川が?」
「ん〜……なんていうか、女の勘ってやつ?」
 返事を聞かなくても、その動揺っぷりを見れば答えは明らかだ。
「すごいっすね、女の勘……」

 ――元MVPで元ヤンの美人マネージャーの先輩
 いや、マネージャーは違う。楓の話を聞いて、自分が勝手に脳内補正しただけだ。 
 ――元MVPで元ヤンの美人プレイヤーの先輩
 こう考えれば、全部しっくりくる。たしかに美人だ。間違いない。
 でも本当に三井くんが? この人が本当にミナミちゃんなの……?

 まだにわかに信じがたく、その顔をじっと見ながら考えていると、話の方向を変えようとしたのか慌てて違う話題を振ってきた。しかしこういう場合、往々にして墓穴を掘ってしまうもので。
「そ……そういえば! 前に流川と中華街行ったんですけど、ウマかったです! ブタマン!」
「え? 中華街?」
「あれ? たしかあいつ、お姉さんに教えてもらったって言ってましたけど。お土産にも買ってましたよ?」
 そうだ。自分はあの時、楓に江戸清の豚まんをお願いした。たしかに、“ミナミちゃんと初デート”する楓にお願いしたのだ。
 そして、あの時のデートの相手が三井くんだったと目の前の本人が言っているのだから、それはつまりそういうことだ。
 
 ――間違いない。三井くんが、楓の。

 そう確信した瞬間、全てが――ストン、と自分の中で腑に落ちた。
 屈託のない笑顔、言葉足らずの楓を気遣う面倒見の良さ、彼に甘えるような楓の視線。
「もしかして、最近カエデの帰りが遅いのって三井くんと一緒にいたりするから?」
「あ、はい。残って練習してから一緒に帰ってるんですけど」
「ナルホド」
 やっぱり放課後デートってやつだ。きっと、三井くんを駅まで送り届けているんだろう。もしかしたらご飯とか食べて帰ってくることもあるのかもしれない。
 全ての点と点が一本の線で繋がり、靄が晴れて頭の中が一気にクリアになる。夏の試合を観た時に感じた違和感の正体はこれだったのか。

 そして、私がミナミちゃんに会ったらどうしても伝えたかったこと。
「最近、ものすごくカエデの表情がいいんだよね。好きな人でもできたのかなと思って。その子に感謝してるの」
 表立っては言えない関係だろうけど、恋をして弟は変わった。今まではバスケか睡眠かの二択でそれ以外は全く興味を見せなかったのに、最近は明らかに彼の中に感情が見られるようになった。そしてそれはきっと、三井くんと過ごす時間の中で得たものなのだろう。
 それに「大晦日に先輩と初詣に行きたい」だなんて。いつもなら間違いなく寝ている時間だし、大晦日に出かけたことなんてないのに。そんなのはただの口実で、楓が16歳を迎える瞬間に一緒にいたいのが三井くんだからだ。なんともいえない本音と建前が、いじらしくて仕方ない。

「あの、それは、どういう……?」
「んーーなんていうか、女の勘?」
「やっぱすごいっすね、女の勘……」
 三井くんが困ったようにそう笑ったのと同時に、リビングをのドアを開けながら楓が三井くんを呼ぶ声がした。
「先輩、ここにいたの? 全然戻ってこないから心配した」
「あ、悪りぃ。ちょっとお姉さんと話してた」
「姉ちゃん?」
 先輩以外は目に入らない、とでもいうように迷わず三井くんの肩を両手で抱いていた楓がようやくそこで姉の存在に気づく。
 ――この二人って、一応付き合ってることは隠してるんだよね?
 独占欲を隠す気もないような弟の態度に頭を抱えながら、楓は楓で「隠すつもりなんかさらさらねぇ」とでも言いそうだな、とも思う。そして極め付きは、これだ。
「先輩はダメ、オレのだから」
「お、おい流川、何言って……」
 無表情の中にも明らかに不機嫌さをにじませる楓と、言葉を選ばない楓に隣で慌てふためく三井くん。意外といいコンビかもしれない。相変わらずむすっと牽制する楓が可愛くて、思わず笑みがこぼれる。
「大丈夫。ファンの好きと本気の好きは違うから、安心して」
 そして、三井くんを誰にも渡したくないというその感情こそが“嫉妬”だよ、と初めて楓と恋の話をした日のことを思い出す。
 それにしても、楓も意外とメンクイだったんだな。しかも姉弟揃って好みの顔が同じだなんて、やはり血は争えない。

「ふつつか者の弟ですが、よろしくお願いします」
 いろんな意味を込めて、三井くんに頭を下げる。

 この先、お互いに「好きだ」という気持ちだけではツラい時期が来るかもしれない。二人ともそれなりに目立つ容姿をしているのだから、なおさらだ。
 女の敵が男だったり女だったりするように、男の敵も女だったり男だったりするのだろう。でも結局はそいつがどんな奴かが重要なのであって、性別や年代をカテゴライズすることにあまり意味はない。人の悪意なんて鳥のフンのようなものだ。どこから降ってくるかなんてわからない。
 けれどこの先いつか、二人が不運にもそんな鳥のフンを浴びてしまった時、せめて自分は「気にするな」と笑い飛ばしてあげられる存在でいたい。

 三井くんが自分の弟になる日が、いつか来るのだろうか。
 そんな日が来たら最高に嬉しいな、と思いながら目の前にいるお似合いの恋人たちを見て、にっこりと笑った。

▶︎ to be continued…